所長のつぶやき

2021.02.25

身近なところからの気づき

人の世に熱あれ、人間に光あれ」と1922年(大正11年)3月3日 京都岡崎公会堂で被差別部落の地位向上と人間の尊厳確立を目的として、西光万吉氏を中心に結成され、「全国水平社創立」から100年近くたちますが、言い換えれば差別をなくす取り組みが始まって100年も経過しているにも関わらず、今もなお差別は身近な生活の中に潜んで姿を現せます。しかし、差別を許さない気持ちや取り組みは、歩みは遅いですが着実に進んでいると考えています。そんな中で、最近ふと気になることがあり、皆さんと一緒に考えてみたいことがありました。

差別化?  区別化? ってどう違うの?

物事を様々な形や考えまた、集団や組織などそのほか有形・無形に関係なく使われている「差別化」と表現され日常生活で気軽に使われていますが、これらのほとんどは「区別化」であって(差別)を指しているわけではないと思いますが、非常に気にかかります。(差別)は不合理なことや不条理な事を指している状態の時に使われるべきではないでしょうか。
物事を分けるときや秀逸の技術や技能、また絶品の工芸品や、それを生み出す技巧などは称賛され、他のものと「区別」されるものであり、差別されるものではありません。このように、区別を差別として使われていても気づかずに日常過ごしていませんか。身近な些細な事柄からでも、差別を見抜きあらためていくことが大切だと考えて今回の「つぶやき」とさせて頂きます。

差別をなくそうとする思いと、差別を見逃さない気持ちと、差別を許さない気持ちや取り組みは、絶えず持っていたいものです。

全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ。

長い間虐められて来た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、
多くの人々とによってなされた吾等の為めの運動が、何等の有難い
効果を齎らさなかつた事実は、夫等のすべてが吾々によつて、又他
の人々によつて毎に人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ。そして
これ等の人間を勦るかの如き運動は、かへつて多くの兄弟を堕落さ
せた事を想へば、此際吾等の中より人間を尊敬する事によつて自ら
解放せんとする者の集団運動を起せるは、寧ろ必然である。
兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇仰者であり、実行者であ
つた。陋劣なる階級政策の犠牲者であり男らしき産業的殉教者であ
つたのだ。ケモノの皮剥ぐ報酬として、生々しき人間の皮を剥取ら
れ、ケモノの心臓を裂く代価として、暖かい人間の心臓を引裂かれ、
そこへ下らない嘲笑の唾まで吐きかけられた呪はれの世の悪夢のう
ちにも、なほ誇りうる人間の血は、涸れずにあつた。そうだ、そし
て吾々は、この血を享けて人間が神にかわらうとする時代にあうた
のだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が来たのだ。殉教者が、その
荊冠を祝福される時が来たのだ。
吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。
吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行為によつて、祖先を
辱しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何
んなに冷たいか、人間を勦はる事が何んであるかをよく知つてゐる
吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃するものである。
水平社はかくして生まれた。
人の世に熱あれ、人間に光あれ。

大正十一年三月三日